
中国残留孤児に光を
老後の生活問題など支援に全力尽くす
「戦後」といっても、60年以上が経過しています。しかし、私の目の前にはまだ、その60年以上も前の問題が横たわっています。
それは、主に国策で中国(旧満州国)に渡った開拓団の子どもたちの辛酸を尽くした人生です。神奈川県鎌倉市に在住する中国残留孤児全国連絡会顧問の菅原幸助さんの訴えが、心の隅に暗い影を落としています。
子どもたちは日本の敗戦で肉親と死別または離別し、中国に置き去りにされました。幼児だった孤児らにとって反日、抗日運動の強かった中国での生活は筆舌に尽くし難い過酷なものでした。
孤児たちが日本の大地を踏むまでには、日中国交回復まで27年、本格的な帰国が始まるまで40年近くの歳月が必要でした。40歳後半、50歳を過ぎて帰国した者も少なくありません。この帰国の遅延が、孤児たちの運命を取り返しのつかないものに変えてしまいました。まさに戦争ほど悲惨なものはありません。
帰国後の日本政府の対応も極めて不十分でした。自立支援センターでの4ヵ月から8ヵ月という日本語学習期間では、到底日本語を習得することはできませんでした。そして今、多くの孤児らが老後を迎えています。わずかな退職金や2,3万円の年金でどう老後を生きるのか、孤児らは大きな壁に突き当たっています。
過日、参院予算委員会で安倍晋三首相に直接、この問題を訴えました。「あまり時間をかけずに案をまとめるように指示した」と答弁があり、柳沢伯夫厚生労働相も今年夏までに新たな支援策をまとめると明言しました。
今、与党の政策責任者会で一歩一歩、政策の取りまとめを進めています。私は、孤児たちが日本人として尊厳を持てる生活を送ることができ、孤児たちの希望あふれる明るい笑顔を一刻も早く見たいと念願しています。